み東礼実もじ門司港ドン・ボスコの風 アヴァンティ no.1ばんどうゆきろく禄せん専福岡県03こ う100周年記念公式ロゴコンテスト宣教師を迎えた日本の玄関口logo-contest/ 2024年10月から11月にかけて、サレジオ会来日100周年記念の公式ロゴを決めるコンテストが行われました。サレジオ工業高等専門学校デザイン科の学生たちから22作品の応募があり、選考の結果、優秀賞として7作品が選ばれ、その中から、サレジオ家族の若者を対象に行われたWEB 投票で最優秀賞が決定しました。最優秀賞サレジオ工業高等専門学校デザイン科4年 坂栄に思います。このロゴが、サレジオ会の 大正の終わり、1926年の2月8日朝8時。イタリアからの宣教師団の団長だったヴィンチェンツォ・チマッティ神父を乗せたドイツの貨客船フルダ号は、当時国際的な貿易港として栄えていた門司港に到着しました。 日本語を知らないイタリア人たちにはその後の九州鉄道への乗り換えが困うえ難でしたが、船内で出会ったウィーン留学帰りの日本人上はら原氏(のちの一橋大学学長)が、親切にも門司駅まで案内してくれたのでした。 門司の町は横浜や神戸と並び三大貿易港として多くの船が出入りしていたため、街にはハムやチーズ、チョコレート、洋酒など当時ではめずらしいものが店頭に並び、博多や小倉から買い物客が訪れていました。 料亭や花街、映画館でにぎわい、街は人びとであふれ返っていました。 門司港地区は古くは漁と塩田の小さな村でした。平安時代の壇ノ浦の戦い(源平合戦)の戦場など歴史的な要所、九州と本州、日本と大陸を結ぶ海運の拠点でもあります。明治から昭和にかけて石炭やセメントの輸出、造船の拠点として発展し、その後さまざまな産業の中心地となりました。1929年頃の門司駅(現在の JR 門司港駅)福 岡 県 北 九 州 市 門 司 区 港 町さん 100年の歩みを祝うだけでなく、これからの未来へと続く希望の光となることを願っています。 今後も、ドン・ボスコの精神を大切にしながら、より多くの方々に愛されるようなデザインを作り続けていきたいと思います。」 ロゴのコンセプトについては、「ドン・ボスコとチマッティ神父の顔をイラストチックにかわいらしく単純化し、100の数字の中に取り入れました。100周年を祝うロゴなので、カラフルに華やかに、見ているだけで幸せになれるようなデザインにしました。また、青少年に親しみやすく、青少年のように色鮮やかに仕上げました」と説明しています。 2025年2月8日の100周年記念オープニングイベントにて、最優秀賞の表彰および優秀賞受賞者への記念品の贈呈が行われます。 最優秀賞および優秀賞に選ばれた7作品は、下記サイトからご覧いただけます。100周年記念サイト ロゴコンテストhttp://www.oratorio.tokyo/index.php/ 九州鉄道が国営となり、その終点地として門司駅が開設。近隣の桟橋通り周辺には三井物産や大阪商船などの大手商社の支社、日本郵船の出張所、日本銀行などの支店が立ち、九州の金融中心地となります。 1942年(昭和17年)の関門鉄道トンネル(海底トンネル)開通後は中心駅が移転し、門司港駅に改称。 戦後の日本の発展とともに関門海峡大橋が開通。これを機に街は衰退し、後に「門司港レトロ」として商社跡や工場跡を観光地として再整備。歴史的建造物や観光施設、宿泊施設、商業施設が立ち並び、年間200万人が訪れる憩いの場として親しまれています。門司港レトロ公式サイトhttps://mojiko-retoro9.jp/受賞者コメント「このたびは、私のデザインした100周年記念ロゴが最優秀賞をいただき、大変光最優秀賞が決定!
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