ドン・ボスコの風 アヴァンテッィ no.3
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サレジオ 会 宣 教 師 派 遣 1 5 0 周 年サレジオ 会 来日1 0 0 周 年サレジオ 会 来日1 0 0 周 年巻頭言 チマッティ神父は、普段は自分のことを「サレジオ会司祭」と名乗っていましたが、特別なときには「サレジオ会宣教師」と紹介していました。 来日前、イタリアで音楽や科学、教育学の学位を取りながらも、彼の心にあったのはただ一つ、「宣教師として神の栄光と人びとの救いのために働く」という望みでした。 46歳のとき、ついに宣教師として日本に派遣されます。 出発にあたり、リナルディ総会長から「日本へはイタリアの知識や文化ではなく、キリストの愛を届けなさい」と励ましの言葉を受けました。日本への長い船旅の間、「日本語もまともに分からず、どうやって日本で宣教するのか」と問われると、「神が導いてくださる。まずは聖フランシスコ・サレジオの優しさとドン・ボスコの宣教熱で始めたい」と答えたといいます。 宮崎や大分での働きを通して、日本語や日本の習慣を身につけ、人びとを友とし、祈り働くことを大切にしました。やがて彼は「私の心は日本人の心です」と手紙に書き残しています。 宣教に欠かせないのは、知識ではなくキリストの愛であることを、彼は身をもって示したのでした。 サレジオ会宣教150周年にあたり、チマッティ神父を始めとする宣教師たちの日本への愛と熱意を、感謝とともに私たちの間にも呼び起こしたいものです。2 0 2 5 . 1 0チマッティ資料館館長ジョヴァンニ・マルシリオ神父ア ヴ ァ ン テ ィ2025年2月8日〜2026年2月8日記念期間:2025年2月8日〜2026年2月8日記念期間:ド ン ・ ボ ス コ の 風特集1956 年(77 歳)頃、調布サレジオ修学院にて宣教師チマッティ神父の姿vantivantiSalesian BulletinJapanチマッティ神父帰天60周年no.3AA

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