ドン・ボスコの風 アヴァンテッィ no.3
3/4

だ多じん年に創建された古刹・深 東京都ふ調布 ドン・ボスコの風 アヴァンティ no.3じん地開発が急速に進みます。その後、調布町と神じんと、緑豊かな神だい大だい代だい代まち町03● 戦後の修学院移転と歩み 調布サレジオ修学院は、1951年に練馬(現在の下井草)から移転・新築されました。計画を指揮したウルデリコ・ロマーニ神父の記録によれば、土地の元所有者はヤマハ楽器株式会社、建築は清水建設によるものでした。 当時は北多摩郡調布町に属し、周辺は農地や雑木林の広がる自然豊かな農村地帯でした。 近くには東京調布飛行場があり、戦時中は軍事利用され、戦後は軍需工場跡地や復興住宅が点在していました。 布多天神社や調布駅周辺では復興が合市場が開かれ、戦災の大きかった都心から移り住んだ人びとでにぎわいました。 修学院は1952年に正式に落成し、初代院長にはチマッティ神父が就任しました。その後、敷地内にカトリック調布植物公園教会が設立され、周辺にもカトリック修道院やキリスト教系の学校・施設が徐々に増えていきました。 当時の修学院の建物は修理・改築を重ねながら、76年を経た今も神学院として使われ続けています。 また、チマッティ神父の帰天後には敷地内に「チマッティ資料館」が建てられ、 彼にゆかりのある貴重な資料が一般公開されています。ヴィンチェンツォ・チマッティ CIMATTI Vincenzoチマッティ資料館サイト チマッチ神父ってどんな方https://www.v-cimatti.com/cimatti/● 歴史と文化の町・調布 チマッティ神父が晩年を過ごしたサレジオ修学院(現・神学院本館)は、東京都調布市にあります。調布は古くから人びとが暮らしていた土地で、多くの遺跡が発見されています。 江戸時代には甲州街道(現・国道20号)の宿場町として栄えました。 戦前に開通していた京王電気軌道(現・京王電鉄)により、東京中心部へのアクセスが便利になり、1955年の日活多摩川撮影所(現・角川大映スタジオ)の建設を契機に宅併して調布市が誕生し、「映画のまち」としても広く知られるようになりました。 市の南側には多摩川が流れ、北側には奈良時代の733じ寺が広がっています。深大寺そばは特に名物として人気です。ふ修学院の近くには由緒ある布名誉市民・水木しげる氏の代表作『ゲゲゲの鬼太郎』の舞台としても知られています。 旧甲州街道から布多天神社へ続く参道は、現在「天神通り商店街」としてにぎわい、妖怪のキャラクター像が並ぶ観光スポットになっています。ち ょ う1956年、調布サレジオユース・センターの子どもたちと1952年頃の調布サレジオ修学院落成式サレジオ会司祭。1879年7月15日イタリア・ファエンツァ生まれ。1926年に日本への初代サレジオ会宣教師団の団長として来日し、多くの日本人司祭・修道者を育成。 音楽家としても900曲以上も作曲している。1965年10月6日、86歳で帰天。調布市東京東 京 都 調 布 市天神社があり、調布市のサレジオ会揺籃の地ドン・ボスコの風 No.13(2014年7月発行)より再編cimatti.htmlたチマッティ神父は、今、「ドン・ボスコをごらんなさい」と言いながら私たちを見守っています。

元のページ  ../index.html#3

このブックを見る