同窓生紹介 ドン・ボスコの教え子たち

株式会社クラチ 代表取締役社長

倉知 恒久さん

くらちつねひさ 1954年、横浜市生まれ。横浜市立大学卒業後、横浜銀行に奉職し、現在、株式会社クラチ代表取締役社長として地元横浜にて青果業・割烹料理店・ドトールコーヒーFC店舗(15店)を経営。横浜西ロータリークラブ会長も歴任。サレジオ学院同窓会会長を務める。

サレジオ歴

サレジオ学院中学校・高等学校
(旧目黒サレジオ中学校・旧サレジオ高等学校)OB

「共にいる」という教育方針には
とても共鳴します。

横浜駅ダイヤモンド地下街のかつての焼きそば屋は、今ドトールコーヒーに。そこに至るまでには時代の読み、人との関わり、そして決断があった。横浜駅周辺で飲食業を展開する株式会社クラチ社長・倉知恒久さんに話を伺った。

「ドン・ボスコの風」No.19 2017年7月より転載。
記事内容は取材当時のものです。

サレジオに入るきっかけは? サレジオでの思い出は?

二つ年上の兄が目黒サレジオ中学校(川崎に移転し、現在は横浜にあるサレジオ学院)に通っていました。もともと実家はキリスト教とは無縁なのですが、カトリックの教育を受けさせたいという思いが両親にあったのかもしれません。兄がとても楽しそうだったのを見て、私も自然に通うようになりました。

残念ながら兄は中3の1学期に病気で亡くなってしまったので、兄と一緒に通ったのは3か月だけです。兄の追悼式を碑文谷のサレジオ教会でしていただきました。兄の遺影はサレジオの制服です。

学校では朝礼前と昼休みに、生徒はグラウンドに出て、神父さんや先生たちと一緒にサッカーをするのが日課でした。夏休みは学校の先生といる時間のほうが、家族よりも長いくらいでした。臨海学校、林間学校がありました。それから担任であった高橋征二先生には、個人的にも山へ連れていってもらいました。思い出すのは、全校の校外授業で伊豆大島に行ったことです。中1でいきなり夜の東京の竹芝桟橋に集合。船の中で雑魚寝して、朝、島に着いてから散策をし、また船で帰ってきました。今考えるとよく親が行かせたし、先生たちもよくやっていたなと思います(笑)。

部活はサッカー部です。最初は同好会でしたが、中3の時に部として認められて目黒区の大会に出られました。高校でもサッカーを続け、高2の時にはキャプテンを務めました。

現在の仕事について教えてください

横浜駅西口地下街にあるドトールコーヒーショップ横浜ジョイナス店の前で。

父は青果業と料理屋をしていました。当時有名だったのが、横浜駅のダイヤモンド地下街(現・相鉄ジョイナス)にあった焼きそば・スナック「クラチ」という店です。青果業ですから、野菜をたくさん使った焼きそばをやっていました。学生が学校の帰りに1杯100円以下で焼きそばを食べていました。テイクアウトもできて、ファーストフードの走りみたいなものでした。

いつか家業を継ごうという思いもあって、私は横浜市立大学商学部に行きました。卒業して横浜銀行に就職し10年間働きました。銀行での経験は今の仕事には生きていて、地元での人脈づくりで助かっています。

今の私の事業の中ではドトールコーヒー(以下ドトール)が売上規模として圧倒的に大きいのですが、これは銀行での出会いから始まったものです。銀行で働いて3店目に着任したのは八重洲にあった東京支店です。その支店の近くに、当時はまだあまり知られていなかったドトールコーヒーがありました。少しずつドトールの店舗が増えてきた時期です。朝、仕事の前に1杯150円のコーヒーを飲み、昼食でも使っていました。そのうち横浜銀行と取引をさせていただこうと思って、ドトールの本店を訪ねました。何度か話をしに通っていると、「横浜でどこか物件を紹介してくれたら、取引しましょう」ということになりました。ドトールは横浜にまだ店舗がなかったのです。ちょうどその頃、父がやっていた焼きそば店は、マクドナルドなどのファーストフードやインスタント食品に押され始めていました。そこでコーヒーが好きだった父をドトールに連れて行き「こういう店を、横浜でやってみないか」というと、父は「是非やろう」と。それで話がトントン拍子に進んで、横浜での1号店がダイヤモンド地下街にオープンしたのです。昭和61年(1986年)12月で、私は32歳でした。

その半年後に、私は銀行を辞めることになりました。というのは、父の片腕として経理をしていた叔父が心筋梗塞で急死して、経理をやる人がいなくなり、父から「帰ってこい」といわれたからです。こうして私は父の仕事を引き継ぐことになりましたが、自分で何↓か新しいことをしたいという思いもありました。そこで、横浜でのドトールの店舗の数を増やしていきました。当時、フランチャイズシステムはいくつか出てきていて、海外からのものもありましたが、日本オリジナルのドトールは異色で、商店街の本屋や八百屋などに転業を勧めていく業態としては先駆的でした。

コーヒーは、かつては喫茶店で1杯400円以上する高級な飲み物で、敷居が高いイメージでした。ドトールのコンセプトは、おいしいコーヒーを単価を安くしてたくさんの人に飲んでいただきたいというものでした。さらにコーヒーだけを売るのではなくて、ちょっとおしゃれな感覚を大事にして、やすらぎと活力、空間を提供するという基本的な考えがあり、それに共鳴しました。ドトールにお客さまが来る目的はたくさんあると思います。うれしいから来る人、疲れている人、仕事や生活で悩んでいる人もいるかもしれません。いろんな人たちが、コーヒーを飲んで帰るときにはちょっと元気になってくれたらと思い、がんばって店を作ってきて今日に至っています。ドトール創業のオーナーと一緒に自分たちで開拓して店を展開してきたという思いはあります。今、ドトールコーヒーの店舗は横浜エリアに当社の経営の下で15店舗あります。

それから父が他に割烹料理屋をしていましたが、割烹料理業態の難しい時代の流れの中で、本業の青果業を強みとして、野菜料理を中心とする和食料理店に変えました。

仕事において大切にされていることは?

ビジネスとして経営を成り立たせるということは当然ですが、それに加えて地域の皆さんに喜んでいただくことは、とても大事だと思います。当時は新しくドトールを1店舗作るたびに「この辺りもちょっと都会になった」と近隣の方々に喜ばれました(笑)。

それから、現在、当社の従業員はアルバイトを含めると250名くらいで、社員は約30名です。人材育成というのがいちばん悩むところですが、最終的にこの「人づくり」がいちばん大切だなと思います。サレジオが大事にしているアッシステンツァ「共にいる」という教育方針にはとても共鳴します。従業員の話、悩みを聞いてあげるということ、すべてに応えられるとは思いませんが、とりあえず社長はわかってくれているというところが当社のベースにあるとしたら、それはサレジオ時代に学んだ人との関わり方が生かされているのではないかと思います。

若い人たちへのメッセージを

大きな意味での未来というのは自分の力では変えられません。でも自分の未来というのは努力次第で変えられます。たとえば期末試験があるから、それまでの時間どう勉強するかで未来は変わります。だから、より良い未来になるように、努力を惜しまないでほしいです。明日から頑張ろうと言っても、明日を変えるためには今日できることをしっかりやることが大切です。今日から始めてみよう。

それから、失敗を恐れず、勇気をもってチャレンジしてほしいということ。長い人生において失敗は何度も経験します。リスクもあります。けれど、失敗を恐れて何もしないよりは、思い切って挑戦した経験の中に希望の光、成功の鍵がきっと見つかるはずです。

旬菜や くらち

横浜鶴屋町で創業50年を超える老舗。名物「野菜おでん」をはじめ旬の野菜本来のおいしさを堪能できる懐石料理をくつろぎの個室でいただける。

横浜駅きた西口 徒歩2分
横浜市神奈川区鶴屋町2-13-2 横浜スクウェアビル1F
TEL 045-311-9494