同窓生紹介 ドン・ボスコの教え子たち

京都・カトリック西陣教会前にて。中学生たちと一緒に

サレジオ会員・カトリック司教・望洋庵主宰

溝部 脩さん

1935年朝鮮民主主義人民共和国、新義州に生まれる。1955年サレジオ会入会。1964年司祭叙階。1990~1996サレジオ会日本管区長。2000年仙台教区長として司教叙階。2004年より高松教区司教。2011年引退。現在、京都市上京区のカトリック西陣教会内の「望洋庵」にて若者の指導にあたる。

サレジオ歴

日向学院高等学校同窓生

“信じる心を通して事は成る”
という信念こそ、まさに現代に必要なこと

カトリック仙台司教、高松司教を務め、2011年に引退されて今年80歳になる今も京都で小さな庵を編んで、若者の指導にあたる溝部脩司教。ドン・ボスコ生誕200周年にあたり、サレジオ会員としてのこれまでの歩み、そして今を語っていただいた。

「ドン・ボスコの風」No.14 2015年1月より転載。 記事内容は取材当時のものです。

サレジオ会との出会い

左からレオーネ・リヴィアベッラ神父、アントニオ・カヴォリ神父、ヴィンチェンツォ・チマッティ神父。1961年頃

1935年3月に北朝鮮の新義州で生まれました。鴨緑江のすぐそばの町で、すぐ隣が満州でした。戦後、小学校6年生で日本に引き揚げてきました。父親が抑留されていたので母親の故郷、大分県に行きました。国東半島の大田村(現杵築市)というところです。でも満州や朝鮮半島からの引き揚げ者で実家は人で溢れ、食糧不足で家庭の状況も悪くなりました。母は決意して実家を離れ、別府市に行くことにしました。兄と姉がそのまますぐ奉公に出て家を離れました。母は病気がちの弟につきっきりで夜病院に泊まることが多く、私はいつも一人で家に残っていました。しかも、住む家は転々と変わり、ほとんど学校に行けず、中学校も転々としました。戦後の別府市はかなり猥雑な町。進駐軍のアメリカ兵がいて、たくさんの売春婦がいました。そういう中で私は思春期を迎え、当然のように勉強もせずたむろするグループに入っていきました。

中学3年生の5月のある日、遊び仲間と原始的な当時のパチンコ屋に入っているところを見つかって、警察署に補導されてしまいました。中学校の担任から母親と一緒に呼び出され、懇々と説教されました。母親は私を一人でいさせている呵責もあったのか、問題を感じたんでしょうね。その頃、子どもたちでいっぱいだった別府カトリック教会の存在を知っていて、そこに私を行かせることにしました。もともと私の家はカトリックではありませんでしたけれど。数日後、母が頼んだ信者の男性と母とに挟まれて、半ば強制的に私は教会に連れて行かれました。そこで出会ったのがレオーネ・リヴィアベッラ神父でした。あの頃彼は50代だったでしょうか。彼は何も難しいことは言いませんでした。「溝部君、ピンポンはできるかね?」と。そして2人で卓球をしました。ああ、教会って卓球するところなんだなあと思いました。それが初めてのサレジオ会員との出会いです。

戦後の混乱の時代ですから、学校は暴力が多かったです。暴力教師がいましたし、クラス同士の、あるいは他校との喧嘩が絶えませんでした。卑猥な話も溢れていました。別府という町柄、男の子も女の子もませていました。そんな中で教会に行ったときに、なんて平和なんだろうと本能的に思いました。喧嘩がありませんし、みんな優しい。神父さんたちが卓球してくれたり、布のボールやミットを作ってくれて野球をしたりしました。いい思い出があります。しばらくして「洗礼を受けたい」と言うと、リヴィアベッラ神父は「毎日ミサに来なさい」と言いました。そこで毎朝ミサに通い始めました。

ミカン泥棒事件

リヴィアベッラ神父と1956年哲学生の時。調布神学院にて

実は洗礼を受ける前、こんなことがありました。11月2日の死者の日の前の土曜日に、リヴィアベッラ神父から「墓地の清掃に行ってくれ」と頼まれました。私が一番歳上で中学生会の会長でしたから、小学生も含めて15、6人の子どもたちを連れて山の上のカトリック墓地に行って掃除をしました。墓地の後ろが全部ミカン畑で、ちょうどたわわに実っていました。仕事してお腹が減ってのどが渇いたので、ミカンをとうとう食べてしまいました。食べるだけならまだしも、みんなで服のポケットに入れていたら、ミカン畑の主人が出てきて「おまえたち、教会で何を習っているんだ。盗むということを習っているのか?」と。それ逃げろということで、みんなで一斉に逃げ出しました。でも小学校の3年生くらいの子がもたもたして捕まってしまいました。遠くから見ていたら、ミカンの木に縛りつけられて泣いている。まずいなあと思って。みんなで主人のところに戻って「すいません。みんな返しますから」と謝りました。しかし「返さんでいい。買え」と言うんです。でもお金などありません。すると「神父を連れてこい。神父に買わせろ」と。そこで30分くらいかけてみんなで下りて行って、リヴィアベッラ神父に事情を話しました。すると「行こう」と言ってから、黙って一緒にミカン畑まで登っていきました。そして主人にお金を渡してから、「じゃあ帰ろうか」と私たちを促しました。彼を先頭にしてすごすごと教会まで帰ってきました。着くとリヴィアベッラ神父が「ミカンを出しなさい」と言う。怒られるだろうなと思ってみんなで出したら、彼はひとつミカンの皮を剥いて、ひと房ポンと投げ上げて口でうまくキャッチして食べました。そして私たちに「食べなさい」と言いました。感受性が強かったこの時期に、こういう司祭との出会いは大きかったですね。その姿にすごく感動しました。洗礼を受けたいと強く思いました。そして、その年のクリスマスに洗礼を受けました。

その後、家が貧しく高校には行けないので、中学校を卒業したら働こうかなと思っていました。すると、リヴィアベッラ神父が来て「見たところ、君は頭もいいみたいだし、勉強もできるのではないかと思う。宮崎にあるサレジオ会の日向学院に行きなさい。お金は心配しなくていいから」と。それは志願院(小神学校)に入ることも意味していたのですがよくわからず、ただ高校に行けるということはわかりました。

でも志願院の生活はとてもよかったです。これまでこんなに勉強したことはありませんでした。きちっとした時間割で、毎日机に向かいました。そして何よりも素晴らしいサレジオ会員たちに出会いました。いつも一緒にいてくれてやさしかったです。最初は何もわからないままこの世界に投げ込まれた感じでしたが、高校3年生のときは神父になろうという気持ちになりましたね。その後出会ったチマッティ神父を含め、何よりドン・ボスコの教えを生きている会員たちと出会ったことが私の人生を大きく変えました。教区司祭の存在を知らなかったので、神父というのは私たち少年たちといつも一緒にいる人たちだと思っていましたし、こうなりたいと思ってサレジオ会司祭となりました。

アシステンツァ(共にいる)の心

望洋庵の食卓を大勢の若者と一緒に囲む

特定の宗教を信じているかどうかを別にして、現代社会において神さまにすがる、信じる心は大事だと思います。今は自分の力で自分だけでできるという思い込みが激しい時代です。素直に合掌する心が出てきたらいろんなものが変わると思います。鎌倉時代に法然や日蓮や親鸞たちは、合掌して念仏を唱え、弥陀の情けにすがって当時の日本を改革していこうとしました。信じる心を通して事は成るという信念こそ、まさに現代に必要なことです。これはドン・ボスコのモットーである「Da mihi animas, caetela tolle」(私に魂を与えよ、他のものは取り去りたまえ)につながる心ですし、ドン・ボスコが強調したアシステンツァ(共にいること)と深い関係があるのです。

というのもアシステンツァの基本は、実は相手の中に神さまを見る、他者の中に神がいる、阿弥陀さまがいるという心なのです。寄り添いながら、その人の中に神さまを見つけていく心です。それは自らの謙虚さにつながっていきます。右の手が阿弥陀さまで、左の手が人間で、それが一つに合わさって合掌し、そして自分の目の前にいる人を拝んでいるこの心です。実は信仰なんですよ、アシステンツァは。この心がなくなって方法論だけでやっていくと、自分がしてあげているんだ、そばにいてやってるんだということになっていく。あるいは好きな人といるときだけがアシステンツァだという感じになってしまいます。

家庭的精神と同時に若者と共に一生を捧げる生き方こそサレジオ精神だと思います。ドン・ボスコ生誕200周年にあたるこの1年、私たち一人ひとりが何ができるか考え、行動し始めてみてはいかがでしょうか。

望洋庵について

望洋庵で行われる黙想会の様子

2011年に高松司教を引退してからしばらく高知県にいて、これからの人生をどうしていくか考えました。桂浜で海を眺めながら、やはり自分はサレジオ会員で、生涯青年たちと一緒に生きてきたので、自分の最後は青年と一緒に生きてみようかなと思いました。

ただ、昔みたいに青年とバスケットボールをしたり、山に登ることはできません。できるのは何かと考えたときに、サレジオ会員として若者の霊的指導、霊的同伴なんだと思い至りました。これだけ司牧経験をしてきたし、今、私はそれができるのではないかと。小さな家に住んで、一人ひとりとゆっくり人生の生き方、福音の分かち合いを主体にした、庵を作ってみたいなと思いました。これが発端で、たまたま京都のカトリック西陣教会にある築108年の家を大塚司教さまが提供してくださったのです。条件も整っていてここでやっていこうと思い「望洋庵」と名付けて出発しました。

主な活動としては、キリスト教入門講座とシンポジウム、それから黙想指導です。最初の年に1870名の人が訪れました。2年目はまだ数えていませんがもっと多いと思います。泊まった人は200名以上。個人指導の黙想は30名ぐらい。リピーターも増えてきています。歳をとってもこれならできると自信を強めています。

ここでもやはりドン・ボスコのバランス感覚の大切さを感じています。ある司教から「私はあなたのようなことは絶対できない。この歳になってこれだけの若者を集めて何かをしているのは脅威だ」と言われました(笑)。私には音楽などの才能はありません。でも、方法論ではない何かが人を引き付けているとすれば、それは「Bonta」(イタリア語で善の意)であり、そっと寄り添っているアシステンツァだったのかなと思います。

若者が宗教的なことをこんなにも求めているのかということに今は驚いています。また彼らは一緒に集うことの喜びを求めています。本当に純粋な青年たちがたくさんいます。今は、あまり慌てないでゆっくりと必ず福音を一番に置いて分かち合いながら、若者と共に歩んでいるという感じです。その中で若者一人ひとりが自分の人生を決めていってくれたらいいなと思っています。

望洋庵の3つの柱

● どういう状況にあっても希望をもって生きたい若者のために開かれる
● 太平洋のように広い世界へと歩み出したいと願っている若者のために開かれる
● 自分の人生にいまひとつ賭けてみたいという若者のために開かれる

2014年 東ティモール・ボランティア&スタディツアー

2014年8月23日~9月5日、溝部脩司教の呼びかけにより、関西と関東から5つの学校、関西学院大学、京都大学、サレジオ高専、大東文化大学、同志社大学の学生が合同チームを作りプログラムを実施した。
 ボランティア活動として、ドン・ボスコ・ファトマカ工業学校のバレーボールコート整備を行った。学生たちは砂利やセメント運びなど、普段は慣れない肉体労働を現地の学生と共に行った。スタディツアーでは、日本大使館、国連開発計画でのワークショップ、フェアトレードを行っているNGOパルシックを訪れ、東ティモールで活躍する日本人に触れる機会を得た。また、ティモール島の最高峰である霊峰ラメラウ山(標高2963m)への登山を行い、360度を見渡しながら御来光を仰ぎ、神秘的な体験を共有することができた。

望洋庵支援の会

望洋庵の運動を援助したいという人たちが集まって発足し次の2つのことを決めました。
1. 次の時代の教会、社会を考えている青年男女に声をかけ、望洋庵の理念や活動を紹介して参加を勧める。
2. この「望洋庵」の若者の召命促進運動に賛同してくださる方に応分の募金支援をお願いする。
 望洋庵ご支援の方は下記の口座にお振り込みください。

支援募金振り込み口座
ゆうちょ銀行:「溝部司教と召命促進をともにする仲間」
普通預金口座 638(店名)1648376番

望洋庵
京都市上京区新町通り一条上る一条殿町502-1 カトリック西陣教会内
Tel. 075-366-8337