同窓生紹介 ドン・ボスコの教え子たち

横浜市都筑区にあるサレジオ学院の校門前で。長く青少年を見守ってきた眼差しは、優しい

サレジオ学院 法人事務局長

長岡 洋一さん

ながおかよういち 1949年横浜市生まれ。1961年目黒サレジオ中学校入学。1967年サレジオ高等学校卒業。1971年から川崎サレジオ中学校・高等学校の体育教員として奉職。2009年から同校の事務長。奉職45年目の現在・学校法人サレジオ学院 事務局長を務める。

サレジオ歴

サレジオ学院中学校・高等学校OB
(旧目黒サレジオ中学校・旧サレジオ高等学校)

やるべきことは必ずやること。
そしてやりたいことを必ずやること。

サレジオ学院の生徒で知らない人はいない先生がいる。長年サレジオ学院の体育教員・担任・サッカー部顧問として数え切れない程の青少年たちを、アシステンツァの姿勢で優しく、厳しく見守ってきた名物先生。現在同学院の法人事務局長を努める長岡洋一さんにお話を聞いた。

「ドン・ボスコの風」No.15 2015年7月より転載。
記事内容は取材当時のものです。

サレジオに入ったきっかけは?

地元は横浜市神奈川区です。浦島太郎伝説でも有名なところで、通ったのは浦島小学校です。浜の子でやんちゃであったことと、当時、公立中学校も荒れていたということもあって、両親はカトリック学校に私を入れたかったようです。それでイエズス会の栄光学園中学校を受験しましたが、二次試験の面接と作文で不合格でした。ところが、私を含め二次試験で落ちた横浜方面の子のところに、なぜかできたばかりの目黒サレジオ中学校(当時)から募集の手紙が届きました。どうもイエズス会とサレジオ会の中で何か話があったのでしょうね。両親は喜びました。それで目黒サレジオ中学校に入りました。私たちは2期生になります。

カトリック碑文谷教会の影に隠れた小さい箱型の建物が中学校でした。入学式は屋上でしました。校長は初代のニコロ・タッサン神父でした。印象深かったのは、昼休みにグラウンドでスータン(聖職者の黒い服)を着た神父さんたちと一緒にサッカーをしたこと。スータンなのにすごく上手でした。今思うと、理想とするドン・ボスコの学校だったと思います。子どもたちと一緒にいる神父さんたちがいました。

3年後、私たちの進学に合わせてできたばかりのサレジオ高等学校(川崎市高津区鷺沼。その後、目黒サレジオ中学校も同地に移転し中高一貫校に)にそのまま進学しました。1期生、2期生というのは何をしても初めてのことばかり。施設も不十分でしたが、先生たちと一緒にいろいろ工夫したのでやりがいがありました。周囲にも自然が残っていて、ある日の朝礼で先生が「今日から猟が解禁だから藪のなかに入っていくなよ。誤って撃たれるから」と言うんです。近くでは猟犬を連れて鉄砲もった猟師が、ウサギやコジュケイを散弾銃で狙っていました。私たちもウズラの巣を見つけては卵を取り、科学室に忍び込んで、ビーカーでゆでて食べていました。

その後、母校の教員になったきっかけは?

試合での一コマ。 サッカー部員たちに檄を飛ばす

教わった体育の先生の影響もあって、先生をちょっとやってみたいな、やるなら体育がいいかなと思いましたので、高3の2学期に進路変更をして日本体育大学の体育学部を受験しました。

大学を卒業したら地元の横浜市立で教員をやるつもりでしたが、暮れに、中1のときの担任で、そのとき校長になっていた小此木神父から「サレジオで教員やらないか」と電話がありました。かつて迷惑をかけていましたので「行きます」と。卒業生で最初の教員です。もともと長くやるつもりはなかったのですが、結局38年教員として勤めました。

教師として生徒とのふれあいは楽しかったです。担任が一番やりがいがありました。サッカー部の顧問も長くやりました。生徒指導部長も任されましたが、最初は若さと強さと勢いで校則を守らせることが生徒を指導するものだと思っていました。でも不登校の子と関わって以降、カウンセリングなども大事だなと思い、勉強もしました。生徒から教わって自分の幅が広くなった気がします。

卒業生たちが遊びにきてくれるのが財産です。生徒のために何かを犠牲にすることはマイナスではなく、後で必ず喜びとして卒業生から戻ってきます。長くサレジオに関わってきましたが、一つ大事なことを挙げろと言われれば、やはりアシステンツァだと思います。共にいること、物理的、空間的、時間的だけでなく、精神的にも生徒のことを気にしてあげるということです。

実は教師になってからしばらくはカトリックの学校であることをあまり意識していませんでした。でもその後、望まない悲しいことがあったときなどに、みんなで祈って心を一つにするということのすばらしさを実感することが何度もありました。卒業生の何人かからも聞きます。「先生、当時は何にも思わなかったけど、あのときにカトリックの学校にいたことが自分のためになっています」と。家庭をもったとき、親になったとき、辛いことに出会ったときに何か感じるときが来るんですね。この環境にいたということが後になって何か方向を与えてくれるのかなと思います。

若い人たちへのメッセージを。

やるべきことは必ずやること。そしてやりたいことを必ずやること。どちらかだけだとダメです。やるべきこととは、決まりごとや人間としてやるべき務めです。やりたいことは躊躇してやらないよりも、チャレンジして失敗したほうが必ず自分のためになります。今の若者はやるべきことは結構やるけれど、やりたいことを抑える子が多い感じです。失敗をしてしまったらという不安や恐れがあって、安全策をとってしまう。でもやらなかった失敗すらできないんです。失敗してもそれが一番自分の糧になるはずです。

それから特に男の子に言いたいのですが、男には強さとやさしさが必要だと思います。けれど強さは後からでも身につけられますが、やさしさは後からは身につけられません。だから、若いときにやさしさについて学んで欲しいです。社会に出れば競争することがいくらでもあって、それで強くなれるでしょう。けれど、自分さえよければいいというのではなくて、人の気持ちを考えること、仲間のことを思いやるやさしさを今のうちに身につけていって欲しいですね。