同窓生紹介 ドン・ボスコの教え子たち

通訳者

高山 貴さん

たかやまたかし CAO ĐÌNH QUÝ(カオ・ディン・クイ) 1964年ベトナム・ビエンホア省(現ドンナイ省)生まれ。1979年、16歳の時、共産主義政権下のベトナムからボートで脱出、2年後にインドシナ難民として日本に定住。サレジオ高専グラフィックデザイン科を卒業後、印刷業・写真製版会社に長年勤め、現在はフリーランスの通訳者として警視庁通訳センターで働く。カトリック教会に集う滞日ベトナム人の若者に“兄貴”として関わっている。

サレジオ歴

サレジオ工業高等専門学校(旧育英工業高等専門学校)同窓生

人と人の関わりを大事にしてほしい。
仲間であっても、自分の知らない人であっても。

共産主義政権の抑圧を逃れボートピープルとして日本に来た少年は、温かな支援者たちに支えられながら幾多の困難を乗り越え、今は若者のために働いている。悩みや困難を抱える滞日ベトナム人の若者に耳を傾け寄り添う高山貴(カオ・ディン・クイ)さんに話を伺った。

「ドン・ボスコの風」No.21 2018年10月より転載。 記事内容は取材当時のものです。

日本に来られた経緯は?

横浜港に上陸した時、助けてくれたノルウェー船上で上陸手続きをするために撮った写真(左から本人、弟、兄)

1975年4月30日にサイゴンが陥落し、ベトナムは北の共産主義政権によって統一され、南の軍や行政関係者、また宗教は激しく弾圧されました。

家族は私たちの将来を考え、1979年10月末、16歳の私と兄・弟・姉夫婦は、70人ほどの仲間とボートで国を出ました。海に出て4日目に日本に向かうノルウェー船に救助されました。当時、日本は難民の定住を受け入れていなかったので、私たちのグループは全員、一時的な滞在の予定で長崎県にある聖母の騎士のシスター(けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会)の修道院に受け入れていただきました。

長崎で2年近く滞在する間に、日本で暮らす決心をしました(1981年、日本政府はインドシナ難民の定住許可を閣議決定)。勉強する機会を求め東京に出て、仲間とアパートで生活を始めたところ、品川に国の難民支援施設である国際救援センターが開所し(2006年に閉所、現在は新宿のRHQ支援センターに移行)、そこに入所して日本語などを勉強しました。センターには粕谷甲一神父様が顧問としておられ、ミサがあり、勉強についての相談にも乗ってくれました。私は住み込みで日本語学校の奨学金が出る新聞配達をすることになりました。その後、高円寺教会の皆さんの支援を受け、サレジオ会の学校である育英高専(現サレジオ高専)に通い始めました。

ヘンドリックス神父様の面接を受け、1年間聴講生として通った後、グラフィックデザイン科に入りました。私のほかに7、8人のベトナム難民の若者が学んでいました。助けてくださる方たちとの出会いがあり、こんなに恵まれていいのかな、と思うこともありました。難民の若者で全然恵まれない子もいたのです。

学校での思い出は?

育英高専在学中、モダンダンスの発表会で(中央後列が本人)

並木豊勝神父様と伏木幹育神父様の倫理の授業がすごく好きでした。友達もたくさんできて、文化祭も楽しかった。卓球部に入りました。野尻湖のキャンプはとても楽しかった。夜になってホームシックになり、泣いたのを覚えています。

社会に出てからは?

凸版印刷のファミリー会社に就職して2年近く勤め、その後、同期の友人のお父さんが経営する写真製版会社に移り、25年ほど勤めました。今は通訳の仕事をしています。

ここのところ、私たちの通うカトリック川口教会で、ベトナム人の若者と関わっています。長く日本で暮らしてきた先輩として、今苦労している彼らのために、こうしたほうがいいよとフォローしたり、悩みを受けとめたり、病気になれば一緒に病院に行くなどしています。ここ4、5年で多くの留学生や技能実習生が入ってきて、教会で彼らに出会い、きっと彼らはいろんな心配を抱えているはず、と思ったのです。そこで私に与えられている使命のようなものを感じました。

毎週日曜日に集まってはお祈りし、わいわいおしゃべりして、何か悩みや心配を抱えている子がいれば話を聴く。ボランティアというよりもまず、人間と人間の関わりです。

私は今年55歳になるので彼らの父親の年齢ですが、兄貴のような存在になって、お互いに遠慮しないで話せるように心がけています。どんどん彼らの中に入り、初対面でも話しかけて、「どこから来た?」「いま大変なことはない?」「生活はどう?」など、単純なことから話します。

滞日ベトナム人の若者の悩みや問題は?

文化の違いなど、多様で複雑です。技能実習生は仕事で、契約と違う内容だったり、厳しい圧力があったり、言葉の問題で意思疎通できずお互い誤解する時もあります。暴力を受けることも。話を聞き、アドバイスをしています。川口教会のベトナム人のシスターは、病気になった若者、法律上の問題を抱えている若者、会社でひどい扱いを受けている若者などの声を拾い上げ、弁護士や医者などの専門家につなげ、私はそれをお手伝いしています。

卒業してから育英に恩返しが全くできていませんが、今、ヘンドリックス神父様がここにいらっしゃったら、「ありがとうございます、私今こういうことをやっています」と言いたいです。

現在の通訳の仕事について教えてください

家族と。左から息子、妻、娘、本人。

警視庁に通訳センターという部署があり、私はフリーランスの通訳として登録しています。今3年目です。ベトナムの若者が日本に入ってくると、悲しいことですが、犯罪も発生しています。私は被疑者になって逮捕されたベトナム人のため、警察から依頼が来ると出かけて行きます。

警察の取り調べは、彼らもつらく感じています。心の動揺に気づいて安心させてあげることも私の役目ではないかと。実際に、取り調べが進んでいくと、心細いのでしょう、表情が変わっていきます。髪の毛が抜けてしまったり、顔がげっそりしたり。

若い人たちへのメッセージを

カトリック川口教会でベトナム人の若者と一緒に語り合う

人と人の関わりを大事にしてほしいです。仲間であっても、自分の知らない人であっても。無関心ではちょっと困ります。本当に簡単なことなんだけれど。

できれば、この日本という国にもっと関心を持ってほしいと思います。私は戦争を経験していますが、毎年、8月の広島、長崎、終戦記念日、あるいは東京裁判や沖縄についてテレビ番組があれば見ています。戦争を経験していなくても、こういうことがあったと知り、戦争は絶対にやってはならないと知ってほしい。平和を絶対に大事にしてほしいです。

人と人とのつながりを大事にすることによって、自分も相手も平和になりますね。本当に小さなことですが、それが集まって大きな力になります。それを大事にして、皆一緒に平和な生活を送れるように願っています。