同窓生紹介 ドン・ボスコの教え子たち

「サレジオ出身の悩む父、筋金入りのカトリック家庭出身のラテン母、海外で生まれ育つ子女二人。ドン・ボスコの教え子として海外生活22年、イスラム社会にて10年。家族は現地社会との深い接点を生きています。長男の初聖体はイスラエルのヤッフォにて、北川大介神父がエルサレムから駆けつけてくださいました。」(本人談)

独立行政法人 国際協力機構JICA専門家

黒田 一敬さん

くろだかずよし 1960年生まれ。民間企業を経て1992年より国連カンボジア暫定行政機構で活動。国連職員として派遣された東ティモールで、投票所にて襲撃に遭い腕を負傷。第3回中田厚仁基金褒賞受賞。現在、エジプトの民主化支援に従事。メキシコ生まれ南米育ちの熱血日本人の妻、東ティモール生まれの長男、サマリア地方生まれの長女と共にエジプトアラブ共和国カイロ在住。ベツレヘム、ロスパロス、ディリ、東京など各地で多くの恩師や同窓生との再会に恵まれ、サレジオ歴は卒業後に深まっている。

サレジオ歴

サレジオ学院高等学校 (旧サレジオ高等学校)同窓生

それでも人生は素晴らしい、
理想に燃えることは素晴らしい

今やメディアの発達で世界中で起こる紛争のニュースが絶えない。そんな危険と隣り合わせの紛争地域で平和維持のため、現地の人びとと共に「サレジオ魂」で理想の社会を築く支援をする、独立行政法人 国際協力機構JICA専門家の黒田一敬さんに話を聞いた。

「ドン・ボスコの風」No.13 2014年7月より転載。 記事内容は取材当時のものです。

黒田さんは、今年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の黒田官兵衛とのつながりがあるそうですが…

キリシタン大名だった黒田官兵衛の息子が長政で、その弟となるのが私の先祖である三奈木黒田家の初代黒田一成※です。17代目当主が不肖の私です。三奈木黒田家は明治時代以降、カトリックに再受洗し、私自身当時川崎市にありましたサレジオ学院で学んだことも不思議な先祖からの御縁に感じます。

サレジオでの思い出は?

必死で走ったマラソン大会や野尻湖での肝試しなど、ほろ苦い青春の思い出がいっぱいです。サレジオ祭(文化祭)ではコンプリ校長の聖骸布展示発表にも励みました。そのとき後輩に、鳥越君(現サレジオ学院校長)もいました。ドン・ボスコの家のロザリオの静謐さ、神父方の御馳走してくれる本物のパスタ、チーズはたいへんな魅力でした。結構無茶なこともしていました。学校近くでスケートボード階段7段跳びに挑戦して足の骨を折ったり(笑)。勉強に関しては要領が悪く、勉強してもまったく試験の点に結びつかない生徒でした。泣いてばかりの日々でした。涙に暮れると言えばドン・チップ(現サレジオ会日本管区長チプリアニ神父)かクロダかと言われておりました(笑)。あのサレジオの教室、できないテストに頭を抱えてふと上を見上げると、いつもそこにいて目を合わせてくれたドン・ボスコの眼差しを思い出します。試験の結果より、後の人生で本当に役に立つことを学んでいたのだと思います。「涙のうちに種蒔く人は、喜びのうちに刈り取る」(詩編126編5節)とあるとおりです。

波瀾万丈の中でも、挫折があっても、自分はいつか役に立つという使命感だと思います。

黒田さんの仕事を教えてください

カヌーにバイクを載せ大河を渡り6時間の奥地にて。紛争後の将来について語らう。真実和解委員会。国連モザンビーク活動 ONUMOZ 1994

紛争後の各地で国連の平和維持活動に従事してきました。1992年からこれまで14の国や地域に派遣されました。カンボジア、南アフリカ、モザンビーク、タンザニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、インドネシア、東ティモール、パキスタンなどです。専門分野は選挙の実施による紛争後の社会再構築です。

2007年からJICA専門家として、パレスチナの地方行政プロジェクトに3年7か月勤務しました。2011年からは、アラブの春と言われた政変後の民主化支援・選挙支援・中東連携協力の任務を得て家族と共にエジプトに在勤しています。

仕事において大切にしていることは?

人々の希望が詰まった投票箱を積んだヘリ。民兵の攻撃を受けながらも離陸した瞬間。独立を問う住民投票。国連東ティモール支援団 UNAMET 1999

「それでも人生は素晴らしい、理想に燃えることは素晴らしい」と他者に夢を与え続けることを使命と思っています。これは宣教師に育てられた証です。モットーは「大切なことは目に見えないんだ」というサン=テグジュペリの言葉です。

1999年東ティモールの独立を問う住民投票で、私が立ち会っていた投票所は民兵の襲撃を受け、投石と銃弾を浴びました。逃げ遅れた投票所係員をかばって、私は机の下に押し込み、飛んで上にかぶさっていました。私は腕に怪我をしましたが何とかティモール人を守ることが出来ました。自分がどうなっても、まず人を助けることに迷いは全くありませんでした。とっさの判断にサレジオ魂が出たと思います。

防弾車で行き来していたパレスチナと打って変わって、カイロでは地下鉄で通勤しています。混雑した地下鉄の中で人々の顔を見ていると、民主主義とは何か、どうしたら良い選挙ができるのかなど、ひらめきと発想を生む貴重な時間となっています。現地の人とひざを突き合わせながら本当に必要な支援は何か考えていくという私のアプローチは、ドン・ボスコの教えの実践だと思っていますし、人々と痛みを共にして支援に従事するというこの仕事は、神様から与えられた使命だと思っています。

この仕事において嬉しいことのひとつは、世界のあちこちでサレジオ会員と出会えることです。平和維持活動、民主化支援、人道支援という現場でも、国連より先に入っているのがカトリック修道会であり、サレジオ会もその一つです。彼らの存在にはいつも大いに励まされます。

黒田 一成(くろだかずしげ)

黒田二十四騎の11人。三奈木黒田家の初代。織田信長に反抗した荒木村重の説得に有岡城へ向かった黒田官兵衛が捕えられ牢獄に入れられた際、父の重徳が色々と世話をし、後に官兵衛はその恩に報いるため、一成を養子として迎えている。その後の武功により、三奈木黒田家は幕末まで大老家を務めた。

Le plus important est invisible

大切なものは、目に見えない
Saint-Exupéry サン=テグジュペリ