同窓生紹介 ドン・ボスコの教え子たち

ミズノプリテック株式会社

ラナシンハ シャナカさん

ラナシンハ シャナカ 1975年スリランカ生まれ。24歳の時、育英工業高等専門学校(現サレジオ高専)ビジュアル情報工学科に留学生として来日、デザインや印刷技術を学ぶ。卒業後ミズノプリテック株式会社で印刷業に携わり、印刷技能士1級取得。現在スリランカで印刷業と旅行業を始めるため準備中。

サレジオ歴

サレジオ工業高等専門学校(旧育英工業高等専門学校)同窓生

先生たちが熱心に教えてくれて、
私もくらいついていきました。

「ドン・ボスコの風」No.10 2013年1月より転載。 記事内容は取材当時のものです。

サレジオ高専に留学のため来日したきっかけは?

スリランカで通っていたミッションスクールの神父さまが、サレジオ会の神父さまと知り合いで、「日本の学校に行くことができるよ」と紹介してもらいました。24歳の時、育英工業高等専門学校(現サレジオ高専)のビジュアル情報工学科(2005年閉科)に入学して、デザインや印刷などを学びました。私は印刷に興味があったので、卒業研究も印刷関係にしました。

日本での学生生活はどうでしたか?

恩師の山野内倫昭神父(本誌編集長)と

楽しかったですね。まず2か月ぐらい日本語を学んで、すぐ高専で一緒に勉強し始めたのですが、先生の話すことがほとんどわかりませんでした。でも先生たちが放課後も残って熱心に教えてくれましたし、私もくらいついていきました。

学校の隣に寮(サイテック)があって、校長のヘンドリックス神父さまやデビッテ神父さまほかサレジオ会の神父さまたちにお世話になりました。土日は留学生たちを遊びに連れて行ってくれました。スリランカと比べて日本は物価が高く、アルバイトをしたいと申し出た時、ヘンドリックス神父さまは「お金のことは考えなくていいよ、一生懸命勉強だけしなさい」と言ってくれました。学校が就職をお世話してくれたことは、本当に助かりました。外国人の就職はなおさら難しいのですが、先生がすごく協力して、面接も一緒に行ってくれたんです。

日本での仕事は大変でしたか?

印刷会社のミズノプリテックで10年ほど働きました。会社案内や商品カタログなどの制作を得意とする会社です。50人ほどの従業員のうち、外国人は私だけでした。会社の人たちがとてもよく教えてくれて、私もすごく勉強になったし、結構楽しかったですね。苦労はなかったかもしれないです。おかげで在職中に国家資格の印刷技能士検定1級を取ることもできて、自分で印刷会社をやっていこうという自信もつきました。新しく入社した若い人を教える経験もしましたし、会社の同僚にはとても恵まれました。

スリランカで事業を始めるそうですね。

日本に留学する時から、いずれはスリランカに戻って日本で学んだことを活かして仕事をしたいと思っていました。これからスリランカで印刷会社を立ち上げるために、提携できそうな工場、紙やインクなど資材のコスト調査、そこで自分たちが付け加えられる可能性などを探ってきます。会社は、私がいつ戻ってきて働いてもいいように休職という形にしてくれていて、もしもスリランカで印刷会社を立ち上げる時には、印刷機の提供などいろいろと協力してくれるそうです。今回は、知り合いの方がくださった小型の印刷機を持って帰国します。まだまだこれからで不安もいっぱいですが、小さなことから始めてみたいと思います。

日本では今、出版物の印刷業はかなり低迷してきました。スリランカもいずれはそうなるかもしれません。でも商品の梱包材に関しては、環境問題からビニールや発泡スチロールよりも紙を使うことが拡がっているので、印刷・加工業の可能性はまだまだあるし、アイデア次第です。

スリランカにもサレジオの工業学校があるので、その卒業生を受け入れて育てていけたらいいですね。日本の企業で学んだ技術や、規律性などを活かして役立てていきたいと思います。

もう一つ、昨年結婚した日本人の妻と一緒に、スリランカで旅行会社を始めるための登録も進めています。スリランカは島国で野生の象もいたり自然も豊かですし、世界遺産など観光地もたくさんあります。妻は旅行会社で働いてきて旅行業の資格をもっているので、日本人観光客や他の国の人にスリランカに来てもらったり、スリランカの人が外国に行くお手伝いができたらと思っています。これからは、スリランカと日本の橋渡し的な役割を担っていくことができたらいいなと思います。それが夢ですね。