それはまったくなかったですね。親には好きなことをしていいって言われていましたから。日本では気候変動の勉強、その後、ボストンとニューヨークではグラフィックデザイナーとして10年働いていました。実際、ニューヨークのミュージアムに働いており、アートディレクターズクラブ賞など頂いて仕事もあったので、永住するつもりでした。しかし9・11テロが完全に転換点になりましたね。多くの知り合いが犠牲になりましたし、地元は治安維持のために軍隊が占拠していました。もちろんニューヨークの人たちは全員賛成してないにせよ、いかにも打倒イラクだという戦争ムードには自分では納得がいかず、ニューヨークでの生活に疑問もできました。アメリカとしては、やられたら徹底してやり返そうという動きでした。戦争というものを直に体験して価値観がいろいろ変わりましたね。
ちょうどその頃、六本木ヒルズプロジェクトが動きだしていました。テレビ朝日と森ビルと私たちのハリウッドグループと3社合同でのプロジェクトです。森ビルもテレビ朝日にも人材はたくさんいる。ところが、うちは偶然そこに自宅と会社があっただけで、インターナショナルな人材が少ない。ある意味、時の流れで巨大プロジェクトに参加せざるを得なかったんです。高層ビルができてミュージアムを造って、前に彫刻を置いて、とアート文化の発信の街に変わっていかなければならない。というわけで、ちょっとデザインで手伝ってくれということで始め、気がついたら実家の仕事に引き込まれていきましたね。(笑)