サレジオに入ったきっかけは?
地元は横浜市神奈川区です。浦島太郎伝説でも有名なところで、通ったのは浦島小学校です。浜の子でやんちゃであったことと、当時、公立中学校も荒れていたということもあって、両親はカトリック学校に私を入れたかったようです。それでイエズス会の栄光学園中学校を受験しましたが、二次試験の面接と作文で不合格でした。ところが、私を含め二次試験で落ちた横浜方面の子のところに、なぜかできたばかりの目黒サレジオ中学校(当時)から募集の手紙が届きました。どうもイエズス会とサレジオ会の中で何か話があったのでしょうね。両親は喜びました。それで目黒サレジオ中学校に入りました。私たちは2期生になります。
カトリック碑文谷教会の影に隠れた小さい箱型の建物が中学校でした。入学式は屋上でしました。校長は初代のニコロ・タッサン神父でした。印象深かったのは、昼休みにグラウンドでスータン(聖職者の黒い服)を着た神父さんたちと一緒にサッカーをしたこと。スータンなのにすごく上手でした。今思うと、理想とするドン・ボスコの学校だったと思います。子どもたちと一緒にいる神父さんたちがいました。
3年後、私たちの進学に合わせてできたばかりのサレジオ高等学校(川崎市高津区鷺沼。その後、目黒サレジオ中学校も同地に移転し中高一貫校に)にそのまま進学しました。1期生、2期生というのは何をしても初めてのことばかり。施設も不十分でしたが、先生たちと一緒にいろいろ工夫したのでやりがいがありました。周囲にも自然が残っていて、ある日の朝礼で先生が「今日から猟が解禁だから藪のなかに入っていくなよ。誤って撃たれるから」と言うんです。近くでは猟犬を連れて鉄砲もった猟師が、ウサギやコジュケイを散弾銃で狙っていました。私たちもウズラの巣を見つけては卵を取り、科学室に忍び込んで、ビーカーでゆでて食べていました。