ベトナムから日本に来られた経緯をお聞かせいただけますか?
1975年4月30日にサイゴンが陥落し、ベトナムは、北の共産主義政権によって統一されました。南の軍や行政関係者、また宗教、特にカトリック教会は激しく弾圧されました。
家族は私たちの将来を考え、1979年10月末、16歳の私と兄・弟・姉夫婦は、48人の仲間とボートで国を出ました。海に出て4日目に、日本に向かうノルウェー船に救助されました。
当時、日本は難民の定住を受け入れていなかったので、私たちのグループは全員、一時的な滞在の予定で、長崎県にある聖母の騎士のシスターの修道院に受け入れていただきました。
長崎で2年近く滞在する間に、日本で暮らす決心をしました。1981年、日本政府はインドシナ難民の定住許可を閣議決定したのです。
勉強する機会を求めて東京に出て、仲間とアパートで生活を始めたところ、品川に国の難民支援施設である国際救援センターが開所し、そこに入所して日本語などを勉強しました。センターには粕谷神父様が顧問としておられ、ミサがあり、勉強についての相談にも乗ってくれました。私は住み込みで、日本語学校の奨学金が出る新聞配達をすることになりました。
その後、カトリック高円寺教会の皆さんの支援を受け、サレジオ会の学校である育英高専、現在のサレジオ高専に通い始めました。当時、校長を務めておられたヘンドリックス神父様の面接を受け、1年間、聴講生として通った後、グラフィックデザイン科に入学させていただきました。
私のほかに7、8人のベトナム難民の若者が学んでいました。助けてくださる方たちとの出会いがあり、こんなに恵まれていいのかな、と思うこともありました。難民の若者の中には、全然恵まれない子もいたのです。