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2019年11月27日更新

「すべてのいのちを守るため」―教皇フランシスコの日本訪問

*教皇フランシスコの日本司牧訪問(2019年11月23日〜26日)を振り返って、サレジオ家族としての観点から、大川千寿氏(大阪星光学院同窓生)が分かち合っています。

(BoscoLink – 2019年11月27日 東京)
https://www.bosco.link/webzine/53222

 

「すべてのいのちを守るため」―教皇フランシスコの日本司牧訪問
いつくしみ、喜び、平和の教皇

by 大川千寿(サレジオ同窓会連合)

教皇フランシスコの日本司牧訪問が2019年11月23日から26日まで行われました。神学生の頃、日本での宣教を熱望したという教皇様は、イエス・キリストの代理者として、ここ日本でハードなスケジュールの中で多くの人々と出会い、共に分かち合い、祈る機会をもってくださいました。心から感謝したいと思います。

今、私のSNSでは友人の教皇訪日に関する投稿があふれています。そうです。分かち合わずにはいられないのです。私がカトリック信者となって10年あまり、日本の小さなカトリック教会の共同体で、これほどまでに信徒の心の火が燃え、それが社会的にも認知されて多くの人の共感を呼んだことはなかったと思います。私自身も教皇様のもつイエスへの厚い信仰はもちろんのこと、いつくしみと喜びに満ちた生き方、平和への強い決意に大いに心をうたれ、感動を抑えることができない状態です。

イエズス会員でありながら、サレジオ会との関わりが深く、サレジオ会学校の同窓生でもあるという私との共通点をおもちの教皇様をかねてより尊敬してきましたが、サレジオ家族の一員として、今回の教皇様の訪日から感じたことを簡単に振り返ってみたいと思います。

① いつくしみ ― イエスへの信仰と弱い立場にある人々への寄り添い

教皇様は、現在の日本の社会状況を踏まえながら、いつくしみを常に行動の基準として、人々、とくに弱い立場にある人々に寄り添うことの大切さをたびたび強調されました。そして、被爆者や東日本大震災の被災者との出会い、青年との集いなどで行動を通して実際に示されました。東京ドームでのミサでは、そうした人々に寄り添う理由をはっきりと述べられました。「イエスが、病にある人を抱きしめ、罪人を包み、十字架にかけられた盗人をゆるしたからです」と。
信仰とは、古い伝統や形式にだけ固執することではなく、今、生きているキリストを感じながら、イエス・キリストと同じように生きること。すなわち、目の前にいる弱い立場にある人々に関心をもち、同じ目線に立って寄り添い、耳を傾け共感し、共によりよい方向へと進んでいこうとすることなのだと気づかせてくださいました。サレジオ的な言葉でいえば、「アシステンツァ」(共にいること)の大切さを改めて指摘してくださったということでしょう。
教皇様は、自らが人々のそばにいつくしみをもって立つことを通して、イエスが決して私たちとは遠い存在ではないのだということを教えてくださっているのだと感じることができました。
いつくしみの反対は、自己中心、利己的な人間のあり方です。だから、いつくしみは神様からの贈り物である自然、被造物全体に及ぶべきだとも教皇様はおっしゃいます。気候変動による悪影響を次々と目の当たりにする中で、大いに考えさせられました。

② 喜び ― 開かれた心で愛し、愛される存在であること

教皇様は82歳と高齢であり、強行日程で疲れもあるはずなのに、私たちの前では常に笑顔をふりまき、赤ちゃんに祝福のキスをし、時に冗談やユーモアも交えながら、この日本での日々を過ごしてくださいました。そして、多くの人の心をつかみました。 教皇様はなぜ世界中で人々の心をこれほどまでにひきつけるのでしょう。そのキーワードは「喜び」ではないでしょうか。
私たちの創立者ドン・ボスコは喜びの聖人でした。同じように、教皇様も喜びにあふれた人だということを今回実感することができました。この喜びは、どんな困難にあったとしても決して消え去ることのないものです。これこそが、教皇様とわたしたちとを親しくつないでくれるものなのではないでしょうか。
ドン・ボスコの有名なことばに「愛するだけでは足りない。愛されていると分かるように愛さなければならない」というものがあります。ある人が相手を心から愛せたとするならば、その人は愛される人になるのです。
教皇様は、キリスト者だけでなく、他の宗教を信じる人々、あるいは宗教を信じない人々、すべての人々を念頭において、今回の訪日でメッセージを発しました。開かれた心で、喜びをもって対話し協力すること、すなわち、違いを受け入れながら愛することの大切さを繰り返し語られました。それは、日本のカトリック教会や信者が教会の中の論理だけにとどまらずに、社会の中に出かけていき、広く愛される存在となることを願ってのことだと思います。

③ 平和 ― 優しさと祈りと希望の尊さ

教皇様は、被爆地である長崎と広島を訪問されました。自らが訪れることを義務と感じていた2つの場所で核廃絶への熱い想いと平和へのゆるぎない決意を表明し、わたしたち皆に責務があると呼びかけ、過去の過ちを思い出し、共に歩みながら、平和を守ることを実際に行動に移すよう力強く促されました。
かつてドン・ボスコは、彼のその後の歩みを決定づけることとなった9歳の夢で「げんこつはいけない。柔和と愛をもって子どもたちの友達となるのだよ」とイエスから語りかけられました。こうして、いかなる場合でも、力によって人を押さえつけることを否定し、優しさと愛、道理によって人々の友となる道を説きました。
そして教皇様は、長崎の集いではアッシジのフランシスコの平和の祈りを唱えました。また、広島の集いでは「平和の巡礼者」として「真の平和とは、非武装の平和以外にありえない」と言い切りました。まさにこれが歴代の聖人たちも言及した神の望む平和であり、イデオロギーを超えて私たちが人々のただ中で実現すべき平和なのです。
優しさを貫き平和を実現することは、そう簡単ではないように思えます。疑問を抱き、心が折れ、あきらめそうになることもあります。しかし、平和に対しあれこれ言い訳するのでなく、人間(の苦しみや悲しみ)を具体的に想像しながら、シンプルに、そしてストレートに追求するべきものなのだということ、また、そして心を改め一つとなって祈ること、希望し続けることがいかに尊いことかを改めて実感することができました。

私の4歳になる長男は、今回教皇フランシスコのお姿を見て、「感動して泣きそうになったよ。パパ様大好き!」と言っています。特に未来を担う若者や子どもたちに教皇様の訪日を通じて植えられた種が、いつか立派に成長し、美しく花咲くように、これからも一人の大人として寄り添っていければと思っています。

いつくしみと喜びと平和のフランシスコ教皇様、日本を訪れてくださり本当にありがとうございました。教皇様を通していただいたすべての恵みに心から感謝いたします。

わたしたちのキリスト者としての責務をよく自覚しながら、違いや多様性を尊重し、すべての人々と友として手を携えていくことによって、今回教皇様に強めていただいた私たちの心のともしびの輝きを、こんどは私たち自身が守り、育てていくことができますように。

そうして、今回の訪日のテーマ「すべてのいのちを守るため」をよりよく実現し、「誠実な社会人、キリストに倣う者」(2020年サレジオ家族のストレンナ<年間目標>のテーマ)として歩んでいくことができますように。

いつくしみ深く愛である神よ、私たちをよりよくお導きください。キリスト者の助けなる聖マリア、日本宣教の父である聖フランシスコ・ザビエル、私たちのためにお祈りください。