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2019年11月30日更新

インタビュー 隠れキリシタンの子孫として

教皇フランシスコの日本訪問(2019年11月23〜26日)の際、サレジオ同窓会連合の立石光洋事務局長(サレジオ会日本管区広報)は、カトリック中央協議会、他のカトリック系メディア、電通などによるカトリック広報チームに参加しました。

その際、来日していたVatican Radioのスタッフからインタビューを受け、隠れキリシタンの家系に生まれたご自身のファミリーヒストリーを語った模様がVatican Newsのサイトに掲載されています。

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信仰を伝えてくれた先祖に感謝 隠れキリシタンの子孫として

by 立石光洋(サレジオ同窓会連合)

Vatican Newsの記事(英語)
https://www.vaticannews.va/en/church/news/2019-11/japan-descendent-hidden-christians-pope-francis.html

Vatican Newsの記事(スペイン語)
https://www.vaticannews.va/es/iglesia/news/2019-12/navegar-con-viento-gracia-testimonio-mitsuhiro-tateishi.html

インタビュー動画(YouTube)
https://www.youtube.com/watch?v=xPt90ogqewM

<インタビューの内容>

私の名前は立石光洋です。隠れキリシタンの子孫です。

私の父は、長崎県にある生月島で生まれました。生月島にはまだ多くの隠れキリシタンがいます。私の先祖は、聖フランシスコ・ザビエルが日本に来た470年前に、洗礼を受けました。

江戸時代、将軍はキリスト教を禁じ、日本から外国人を追放しました。何万人ものキリシタンが殺されたのです。映画作品にもなった遠藤周作の小説「沈黙」にもあるように、聖画を踏んだキリシタンは殺されませんでした。私の家族は、キリスト教の信仰を子孫に守り伝えるために、生き延びる道を選んだのです。250年もの間、司祭がいない時代が続きましたが、キリシタンたちは密かに信仰を守り続けたのです。

私の先祖は、長崎の町からは離れた黒島に渡り、身を隠しました。19世紀後半、明治時代に禁教令が解かれ、キリスト教を公に信仰することがゆるされました。その時に、私の曽祖父はカトリック教会を再建するために、黒島から生月島に渡りました。

隠れキリシタンをカトリック教会に呼び戻すのは、非常に大変でした。江戸時代の身分階級は、上から士農工商、賤民、そしてキリシタンと言われていたそうです。キリシタンは、とても虐げられ、貧しかったのです。
しかし、キリシタンは互いに助け合い、イエスの愛の教えを実践しました。例えば、あるキリシタン大名は最も貧しい人びとのために奉仕したので、人びとは殿様を尊敬し、キリスト教を信じるようになったのです。

この春、私は父のふるさとである生月島に、30年ぶりに行きました。私たちの家から海を見ると、カトリック教会が見えて、その先に多くのキリシタンが殉教した小さな島(中江ノ島)が見えます。人びとは今もその島を「聖地」と呼んで、とても大切にしています。

父は、私にことあるごとに言っています。「お父さんは、おまえに残す財産は何もない。でも、信仰を伝えたんだよ」
470年に渡って困難を乗り越えて、信仰を伝えてくれた先祖に、私は心から感謝しています。